猫目雑録
真魚八重子

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第15回
実家がなくなった!(15)
「介護施設への入居準備」

 母の介護施設への入居が決まった。施設側はあまり空白期間をおきたくないようだったが、母の心の準備に時間がかかると思ったので、入居日は最大限まで延ばしてもらった。

・洗濯は施設側がしてくれるので、すべての持ち物に名前を記入すること
・携帯電話の持ち込み禁止。連絡は事務室に申し出て施設の電話を使うこと
・お菓子の差し入れはお断り(給仕がスタッフの負担になる。または食事制限がある。それと入居者の間に差が出ないための配慮など)
・現在通っている病院の担当医師に委任状を書いてもらうこと。24時間対応の施設専門の医師が薬剤の投与などを受け継ぐ
・施設内では不要なため、お金は所持しない。必要な買い物は本人の申し出を家族に伝え、家族が施設に差し入れるか送ること。施設職員は買い物代行をしない
・テレビ、DVDデッキなどを部屋に置いても良い

 個人的にそうか、と思ったのはこれらのことだった。全部の持ち物に名前を書くのが意外に大変で、白っぽい肌着は油性ペンで書けるので楽だが、黒い靴下などには白い糸で縫い付けたりしなければならなかった。
 春夏秋冬の分すべてを用意し、基本的には外出は時々の散歩くらいしかないため、普段着だけで大丈夫だった。母にどれを持っていきたいか、絶対に必要な肌着や服はどれかと尋ねた。しかし母は意気消沈し、明瞭な返事をしなかった。わたしが差し出す服にも、興味がなく一瞥をくれるだけだった。それでも、何も用意しないわけにはいかない。わたしは母がよく着ている印象のある服を中心に、とりあえず一年は足りる分を選んだ。
 母が気に病んでいた相続税の支払いも済み、ひどく高額というほどでもなく済んだ。兄が継いでいた会社の解体もすでに終わり、鉄筋の頑丈な建物だったため解体費用は200万ほどかかったそうだ。だがそこは駐車場となり、すでに月極ですべてが埋まっていた。何年かすれば解体費用も回収できるだろう。甥は順調にことを進めていた。
 わたしは東京に戻らねばならず、母に「服に名前を書いたり縫い付けたり、ちゃんとしてね」「必要な化粧品とか、できれば今のうちにストックしておいて」と言い置きしたが、母が聞いている感じはなかった。わたしは引っ越し日にまた来るからと言って、実家を後にした。

 母は施設への入居がイヤで色々心配しており、その後も連日わたしに電話で質問ばかりしてきた。わたしではわかりかねることもあったので、「直接施設に電話して尋ねてみて」と促した。
「電話番号はこの間渡した、施設の紹介の書類に書いてあるから」
「知らん。そんな書類もらってない」
「いや、ちゃんと台所のテーブルに置いたから、探してみて」
 この、渡したものを母があっという間に紛失してしまうことはかなりの頻度であった。受け取ったことも忘れているし、どういった物かも覚えていない。捨てない限りはあるはずなのだが、結局出てこないときもたびたびあった。
 結局この日は施設の資料は後で探してもらうとして、とりあえずわたしが施設の電話番号を読み上げてメモしてもらうことにした。だが、局番の時点で母の復唱は間違っており、もはや聞いた数字を書くのも難しいようだった。母の認知症の進行の早さに、改めて気持ちが沈んだ。

真魚八重子(まな・やえこ)
映画文筆業。キネマ旬報、朝日新聞、ハニカム等で執筆。最新刊『血とエロスはいとこ同士 エモーショナル・ムーヴィ宣言』(Pヴァイン)が発売中。

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