猫目雑録
真魚八重子

第1回第2回第3回第4回第5回|第6回|第7回

第6回
実家がなくなった!(6)
「孫に対する母の疑念」

 自分がこの家に住み続けることができないかもしれないと、うっすら理解し始めた母は相続主となった甥に、なにやら疑惑の目を向け始めた。彼がちょっとでも多く相続するために、悪いたくらみを持っているのではないかと考えたようだ。
 それは長兄の死のすぐあと、母のもとに甥がやってきて、遺族がしなければならない手続きをあげていたときのことだ。甥が「ああそうか、この家と土地を相続するのは俺か」と独り言を言ったらしい。甥は煩雑な手続きが膨大にあることに気づいて、思わず口にしたようだ。それが母の印象に残ったようで、そんな瞬間があったことを電話でもわたしに話していた。
 兄の死後、母の認知症の症状は急速に進み始めた。そしてどちらかといえば母にとってネガティブな話題を、何度も初めてのように繰り返し話すようになってきた。そのうちこの出来事について、甥が「相続するのは俺かと言った後に、ニヤッと笑った」というアレンジが加わるようになった。
 わたしが「この話は何度も聞くけれど、そんな表情のことはこれまで言ってなかったよ」と指摘すると、母は「ほんとに嬉しくてたまらんように、一瞬にんまり笑顔になった」と断言した。そして数か月も経つと、「このうちと土地は俺んだ!」と甥が言ったことになっていった。

 わたしの姪にあたる、大学4年生だった孫娘Sのことも母は快く思っていなかった。母は着道楽で昔買った服をたくさん保存していたが、それを姪にねだられたらイヤだと考えていた。以前、母の洋服に興味を示した姪に、気前よくあげたことがあったらしいのだが、それに味をしめた孫にたかられるのではと心配していた。
 母の性格上、「ちょうだい」と言われたら断れないのだ。それは以前も書いた、母の「誰かに利用されたら恨みは抱くが、逆恨みされるのが怖いので、結局その人に言われるがまま与えてしまう」という心理の一端だった。
 しばらく前にも、わたしがもう着ないから実家に残していた服を姪が欲しがったらしく、母から「あげてもいいか」と確認の電話が来たことがあった。わたしにとっては捨てそびれた服なので、断捨離や処分として手放すのはなんら問題ない。しかし母は「Sちゃんが勝手にあんたの部屋にあがりこんで、タンスを物色しちゃって。それで、いい服があるのを見つけちゃったの。もう貰えるもんだと思ってて……」と、なんともイヤミな言い回しで愚痴を言うので、不快になったのを覚えている。あつかましいと思うなら注意すればいい。しかしそれをせずに、望まれるがままあげた後に陰口を叩くのが嫌だった。
 確かに姪も、母に対してあたりの強い口調のときがあった。甘いものに目のない母が、夕飯もそこそこにおはぎを食べ始めたりするので、姪が「ちゃんと食事取らな!」と叱りつける場面が何度かあった。母にしたら「もうこんな年だから好きにさせてくれ」という心境だったろうし、姪の「おばあちゃんはだらしないから見張らなきゃ。じゃないと健康を損なってしまう」という、若い張り切りもわかる。たぶん、ちょうど運悪く歯車の合わない、折り合いがつかない世代差だったのだろう。

 わたしたちが集まってくつろぐのはダイニングだった。でも甥と姪とわたしは、会話をする時以外はスマホをいじっている。緊急用の携帯電話しか持っていない母だけは、その場でいつも手持無沙汰だった。
 ある日、母はこっそりと小声で「Sちゃんはなんでいつも携帯を持ってるの?」と尋ねてきた。わたしは気なしに「メールでも打ってるんでしょ」と答えたが、母は、
「……わたしを盗聴してるんじゃない?」
 と言い出した。その深刻な声の調子にビックリした。わたしはそんなことをする理由がわからないことや、そもそもわたしも同じようにいつもスマホを見ているのに、姪だけを疑うのはおかしいと言った。でも母は納得がいかなかったらしく、その後も繰り返し盗聴の疑いを口にした。

 約一年後に、母は高齢者施設に入ることになった。甥と姪、そしてわたしは母の衣服や身の回りのものを車に詰め、母を隣の市にある施設まで送り届けた。洗濯や食事の準備は全部施設側がしてくれるし、持ち込める物に制限もあって荷物は少なかった。手続きを済ませ、消沈し寂しがる母に「すぐ面会に来るから」と告げて、わたしたちは母のいない実家に戻った。
 わたしはダイニングから廊下を隔てた部屋で、東京に帰る準備を始めた。今後、この実家に立ち寄ることも減っていくだろう。すると、廊下から姪が甥に向かって「おばあちゃんの部屋見るわ、服欲しいから」と言う声がした。ギクッとした。

表紙