猫目雑録
真魚八重子

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第11回
実家がなくなった!(11)
「母の困った戦術」

 母は警戒心か、認知症による判断力の低下のせいか、母の同意のいる契約事をすべて拒否するようになった。確かにお金や住まいなどに関わることは、大事な問題だから不安になるのは当然だ。でも、それらは母自身や家族にとって本当に必要なことで、母の了承をもらわなければ前に進まない。そのたびに理解してもらえるよう、わたしは根気よく噛み砕いて説明し、数日にわたって何度も電話で話し合った。
 しかし母はよくわからない話は、すべて断ると決めたらしかった。わたしや甥が母の同意を頼んだ際は、生返事で「うん」と答えるのだが、いざ書類を作成する段取りになると、急にゴネだしてご破算にしてしまうのだ。そこに明確な理由があるわけではない。母にとって損な結論になっても、「理解できなくてわからないから反対する」という態度だった。
 まだ勢いよく断るなら諦めもつくが、母は書類を前にするとのらりくらりと不満げな感想を並べ、ずっと話を引き延ばすという手段を取った。最終的にはしびれを切らした誰かが「ダメなの?」と尋ねると、「そうねえ」と否定の意見に同意するかのように答えた。これは本当にその場で吐き気がするほど落胆し、またかという絶望感や怒りが湧いた。
 司法書士さんなどに「書類を作成したい」と頼んで来てもらっているのに、いざサインの段階で母が拒否するので、彼らは一様に目を白黒させ、怪訝そうな表情になった。ときには母の同意を得ないで勝手に事を進めたのかと、わたしが責められることもあった。母は説明の段階では渋々でも「わかった」と了承しており、担当者が来るのも理解していた。わたしは他人を巻き込み煩わせてからの、土壇場で約束を反故にされるショックに、最後まで慣れることはなかった。
 わたしたち家族は母の頑固な態度に悩み、そのうち母の同意を得るのを諦め始めた。この時期はウェブで意思決定の代行にまつわる、成年後見人制度や家族信託なども調べていた。しかしほかの人はもっとうまいやり方を知っているのかもしれないと考え、うつうつとした。一人でウェブを見ていても、どれが良い方法なのか本当にわからなくて、胸がざわざわした。

 母は甥が財産を多くとろうとしていると考えていた。昔、母は実の姉と相続を巡って裁判になっていた。実家を継いだ母が土地も財産もすべて相続したのだが、姉が遺留分で1/4の権利を求めてきた。母にとってはそれが苦い思い出だったらしい。そのため、わたしに何度も「お金取られたら、ダメだよ」と言うようになった。そして必ず「わたしはお姉ちゃんにやられちゃったから」と言った。
「遺留分は認められている相続の取り分だから。それに法律だと、親が死んだときに子どもはそれぞれ相続権があるけど、兄の遺産について妹に相続権はないの」
 こんな話を口頭でしても難しいだろう。それにわたしは母から信用もないので、法律の話をしても疑るような返事しか得られなかった。母は実家の土地に関して、わたしが甥に言いくるめられているのだと考えていた。だから、わたしも母の姉のように訴えを起こして、1/4の権利分を相続しろと言い続けた。わたしにそんな権利はないと言っても、絶対に負けるなと励まされた。気が滅入った。

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