猫目雑録
真魚八重子

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第14回
実家がなくなった!(14)
「介護施設の見学」

 冬が近づき、底冷えがひどくて石油ストーブを使う実家の火事が、再び心配になってきた。母は乾燥防止のために、やかんに水を張りストーブの上に置く。空焚きが危険だからダメだと何回注意してもやめてくれず、東京にいても心の中でいつもうっすらとハラハラしていた。このままでは居てもたってもいられない気分だった。
 親が介護施設に入居した知人たちに相談すると、東京の施設なら面会に行きやすいからいいんじゃないかと提案された。ただしその場合、母の友人はすべて愛知の地元にいるので、面会に友人が来てくれるのは難しくなってしまう。人間関係を断つのはよけいに孤立させて、認知症の進行に良くない不安を感じた。ただ、わたしも母に何かあった場合に駆けつけやすくて都合は良いので、東京近郊と愛知の地元近辺で介護施設を探し始めた。
 しかし東京は、ほぼ壊滅状態だった。同じような境遇の知り合いも、千葉まで行かないと施設の空きは見つからなかったという。都内では、介護施設とは貯金をたくさん持った人々が、毎月何十万と費やしても気にせず優雅な老後を過ごす場所であり、ギリギリの生活の中で暮らす場所ではなさそうだった。一体全体、所得が中級以下の人はどうやって老後を暮らしているのだろう。
 ネットで調べても、介護施設の情報は異様なほど少なかった。介護施設専門の不動産屋的な業者にも問い合わせをしたが、それ以来毎日のようにセールスの電話が、複数の電話番号から掛かってくるようになり閉口した。

 結局、甥が知人の介護関係者を通じて、地元で2施設の候補を見つけてくれた。後日、わたし、甥、母の三人で見学に行った。
 どちらも築年数が浅く綺麗な造りだった。最初に向かった施設は入居者がたまたまみんな昼寝をしていたのか、食堂にも人気がなく閑散としていた。窓からの光も少し足りない気がして、なんとなく施設全体から寂しく暗い印象を受けた。
 二つ目に向かった隣町の施設はまだ本当にオープンしたばかりだった。飾りつけなどが明るく、他の入居者がフレンドリーに挨拶をしてくれて良い印象を受けた。ヘルパーさんたちは忙しそうで、空き部屋へ行くまでに大勢の従業員とすれ違った。一人一部屋、扉はスライド式。緊急時のために鍵はない。トイレは部屋にもあるし、共同もある。風呂は入浴時の事故を避けるため部屋にはないが、時間割に従って一人ずつ共同風呂に入湯する。いまの入居者の男女比は女性がわずかに多いか、ほぼ半々に見えた。
 部屋は棚も大きくて身の周りの物がちゃんとしまえるスペースがあった。採光も問題ないし、広さも十分だった。わたしも甥も、これ以上の物件はないと思った。
 雰囲気の体験として、わたしたちは食堂で少しの間過ごした。みんながテレビを見ている中、母に興味を持ったおじいさんが母に何か話しかけていたが、わたしの位置からはうまく聞き取れなかった。男女が混じりあう生活は、老人であってもちょっとめんどくさいかもしれないと感じた。
 介護施設は現在、どこも空きが出るのを待つ状態である。待機高齢者の多さが問題となっており、思い立って即入居というのはほぼ不可能だ。やはりこの部屋も早く決めなければ他の候補者に権利を譲ることになるため、入居の準備にはまだ時間がかかるとしても、早く手付金のようなものを払って確保する必要があった。「親の世話ができず介護施設に入れる」という罪悪感も、まともな部屋を見つけられたことで幾分かは薄らいだ気がした。
 自宅に戻ってから、母に「二か所目に行った所がわたしは良いと思ったけど、どう?」と印象を尋ねた。
「あそこ、荷物はどこに置くの?」
「壁一面棚だったでしょ。あそこに収納できるよ」
「壁が棚? 全然見てなかった」
 母は注意不足の自分自身に呆れたようだった。しかし「入りたくない」という気持ちが強くて、間取りなどを見ている余裕がなかったのはよくわかったので、母が落ち込むとわたしもまた罪悪感が強くなった。とりあえず、わたしと甥は二つ目の施設に申し込むことにした。

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