本屋日誌
萩野亮

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第4日



この間、本連載の更新を怠っていたのはほかでもなく、東京都下における新型コロナウイルスの感染拡大による危機的影響を、わたくしの店、本屋ロカンタンも受けていたからである。不要不急の外出を控える旨のお達しが出、非常事態宣言が出、つい先だっては百平米を超える古書店に休業要請が出た。
百平米を超える古書店、といえばこれはもうほぼ、ブック・オフのような、主として郊外のロードサイドに店をかまえる「新古書店」とよばれる業態を指している、と思われる。とはいえ、指定の床面積を下回る個人経営の古本屋でも、四月十六日から五月六日までのあいだを全休業した店には手当が支給される、という。その額、五〇万円。

はっきりいって、そうとうに魅力のある提案である。二〇日間お休みを頂けて、なお五〇万円が懐に入る。最高やないか。二〇日のうち、すべてを営業日としても、五〇万の利益を得られることは、たとえば個人店舗のばあい、ほぼ無理ではないか。粗利を五割としても、売上ベースで百万くらいは行かなあかん。しかもこの場合、在庫を販売するのであるから、そのぶん資産が減る。計算がまるきり得意でないので、ようわからんが、とにかく五〇万はでかい。

ここ西荻でも、これを受けて古本をあつかうほとんどの店が休業に入った。そらそうやろう、と思う。ただでさえ、来客は激減している。開けていても大した売上にはならない。かつ、感染のリスクがお客と売り手の双方に確実に存在する。そう、ステイ・ホームが基本であって、お出かけは厳につつしまなくてはならぬ。

はたして本屋ロカンタンはどうか。休業しなかった。理由はいくつかある。まず、うちは古本屋ではない。古本もあつかってはいるが、あくまで新刊がメインである。しかし、新刊と古書の両方を商っている場合、その実際の業態は当局の知るところではないやろう。つまり、古本屋です、と言い張れば、申請が通る可能性が十二分にある。もらえるものはもらわなあかん。ふだん、どれだけのものがうばわれているか。富める者は富み、持たざる者は持たざるままやないか。そうや、もろたれ。もろたったらええねん。わたくしも三〇分ほど、悩んだ。

三〇分経って、あきらめた。古物商の免許をもっていなかった。これはあかん。そもそも、古物商の免許なくして、古本を商ってもよいのか。これについては、私物=蔵書を売る範囲ならかまわない、ということになっている。ただし、顧客から買い取りを行なったり、販売目的で仕入れることはできない。ちなみに、古物商の許可は、警察の管轄である。なぜか。盗品が流れるマーケットがあってはいけないからである。わたくしも、いずれはこの許可をとる予定でおった。が、いろいろ書類が面倒で、ついに放置していた。蔵書を売る以上のことは、もちろんしていない。


というわけで、これを書いているきょうも、本屋ロカンタンは営業している。金土日のみの短縮営業やが。けれど、少なくはなっても、お客さんはちゃんと来てくれはる。リモートワーク中の気散じに、ふらっと訪ねてくれたかたもおれば、ずっと来たかった、と云ってくれたかたもおった。開けといてよかった、とわたくしはこころから思うた。マスクをしながら。

東京都では、映画館が閉まり、図書館が閉まり、飲食店はテイクアウトを主とするなどを余儀なくされている。いっぽうスーパーマーケットでは、商品を求めるお客でほぼ「三密」状態の混乱をきわめている。頭がおかしくなりそうや。

せめて本屋は開いていてほしい。
これは、わたくしがひとりの人間として、思うた正直な願いである。

本屋ロカンタンは、ひょっとしたら、早晩なくなるかもしれへん。こればっかりは、もう、わからん。わからんけど、というかわからんから、とりあえず明日も店を開けますわ。開いていることに、意味があるんと違うやろか。まあ、意味なんかなくてもええわ。

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