本屋日誌
萩野亮

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第5日



先生が本を買ってくださった。

わたくしには先生がたくさんいる。おそらく人一倍、いるんではないか。いちばんお世話になったのは、やっぱり大学の先生やろうか。酒の呑みかたから、酒の呑みかた、それから酒の呑みかた、等々に至るまで、あらゆる事柄を教わった。二〇〇〇年代初頭は、まだそんな時代やったわ。大学の先生ばかりではない。思い出す「先生」の顔、うしろすがたは、わたくしの脳裏にはいくつもある。

関係の言語たる日本語においては、あらゆる種類の人間が、ともすれば「先生」と呼ばれる。弁護士、行政書士、土地家屋調査士、海事代理士、等々。なんやったらわたくしもそう呼ばれていたことがある。大学で非常勤の教鞭を執るなどしておったから。ライター講座で文章術を指南するなどしておったから。まあ、そんな話はどうでもええわ。

このたび、本を贖ってくれたのは、わたくしの皮膚科の先生である。
ここ西荻で、もう何年、診てもらっているだろうか。わたくしは生まれつきアトピー性皮膚炎を全身に患っており、いまだ完治を得ず、もう、抱きかかえてゆくほかない。皮膚病は、たとえば「ヨブ記」に出てくるほどの、伝統と格式ある業病である。その受苦の委細をここで詳かにするようなことはしないが、まあ、大変やで。

これに飽きたらないわたくしは、追ってうつ病まで獲得してしまうのやが、アトピーとうつのコンビネーションはなかなか悪辣なタッグ・チームで、キン肉マンでいうと悪魔超人のブラックホールとペンタゴンくらい悪いやつらである。わたくしは何度も絶望した、最終的に「優しい」くらいしかみどころのないテリーマンのように。

何の話か。そう、先生。わたくしが思い出す先生といえば、子どものころから、時と場所を隔てて、身体やこころを診てくれた何人もの医師たちも、またそうなのである。都合、いまわたくしの皮膚を診てくれているのは、若い女医さんである。若い、といっても、一国一城たる医院を東京にかまえて数年になる開業医である。わたくしより少し年長であるくらいだろうか。まあ、びん底めがねの爺さんとかではない、ということや。

当たり前やが、お医者にもいろんな人がおって、症状を聞いて薬を出すだけの人もおれば、世間話を矢鱈にする人もおる。いまの先生とは、通うにつれて、徐々に余計なことも話すようになった、感じやろうか。そう、普通や。普通の距離や。それでも最初は、ちょっととっつきにくい印象をもっていた。実にサバサバとした方で。そんな先生に、どういう話の流れやったか、本屋を始めたことを、伝えたんやった。


へえ、すごいですねえ、大変でしょう。普通はそれで終わりやわ。患者の人生に過度に立ち入ってはいけない。あるいは、すべての患者を均等に見なさなければいけない。そういう教えが、医者の世界にはおそらくある。ようわからんけど、基本的にはドライな人間関係が推奨されている、そう経験的にはいえる気がする。

他方でこれは、医者と患者、というそれぞれの立場を固定し、不可逆なものにすることでもある。立場、あるいは役割だけが確固としてとあり、「人間」の手応えがどこか欠けている。たとえばアメリカのドキュメンタリー作家フレデリック・ワイズマンが、合衆国の社会的組織=施設において描いてきたのは、まさしくそうした近代的な規律権力(フーコー)が作動する構造と、その網目で砂のように喪失されんとする「人間」の貌という貌の迫力ではなかったか。


初夏らしい生地の、明るい色の軽装で、先生はふらりとお店にあらわれた。「こんにちは」。
カウンターであらかじめ承っていた本を準備していると、先生は、どこか気恥ずかし気に、「これ……」と小さな紙袋を差し出した。お土産である。先生は、それまでわたくしが知らなかった表情を、していた。

先生が本を買ってくれて、わたくしはうれしかった。こころから、うれしかった。なぜか。みすず 書房の高額な本を買ってくれたからか。それもある。それもあるが、それだけやない。恩を返せ た気になれたからや。お互いがまぎれもない「人間」であることを、あらためて確認できた気がしたからや。

先生はわたくしを診、わたくしは先生に本を見繕う。

それぞれの仕事において、それぞれにできることを、それぞれに恵みあう。そこにはもちろん貨幣が介在するが、そんなことはこの際どうでもええ。先生は、わたくしをただの「患者」にしておくのではなく、ちゃんと「人間」に返してくれたのやった。

お土産のフルーツサンドは、みずみずしい果肉を生クリームとともにはみ出させながら、その 夜、わたくしの口に運ばれた。もう夏や。

表紙