本屋日誌
萩野亮

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第6日



かっこいい婆さんがやってきた。

いつか書いた、葛飾区の九〇才の婆さんとは別の婆さんである。世田谷区の、たしか八七才の婆さんや。例によって電話をくれはった。電話口の婆さんというものは、まず自分の在所と年齢を律儀に告げるものらしい。そして、お婆さんなんだけどね、ときちんと属性を添える。わたくしも本屋の店主としてさまざまな方から電話を受けたが、これは特殊、婆さんに顕著な傾向である。彼女たちが自分の年を告げるとき、そこには含羞と誇りとが、綯い交ぜになっているようやった。あたしはもう老いた、けれど老いてなんかはいない。どうやら実年齢と自己イメージの齟齬が、婆さんたちの内部で乖離、葛藤しているらしい。

母もそうなりつつあることを、わたくしは思い出した。母は昨秋、七〇になった。いや、まだ六九か。まあ、どっちでもええわ。とにかく「婆さん」に確実に移行している。姉にもわたくしにも子どもはいないから、血縁でいうところの「グランド・マザー」には該当しないが、年金で暮らしているし、猫を飼っているし、家庭菜園で大葉を育てたりしているから、立派な婆さんである。

去年の夏に会うたとき、母は云っていた、「鏡見たら、すっかりおばあさんやから、びっくりするわ」。わたくしは年に一回か二回は母のいる奈良に帰っているが、たしかに、前回よりも「婆さん化」の進行が著しいように見えた。どうやら七〇前後で、急激に見た目が老いるものらしい。しかし体は元気である。そこに齟齬が生じてゆく。自分がおばあさんやなんて、信じられへん。医療は進歩し、とりわけこの国のひとは長生きをするようになったから、従来の「婆さん」というカテゴリの前段の空隙に、「プレ婆さん」的な一種のボーナス・ステージが生じている。

世田谷の八七才の婆さんは、実年齢こそ紛うことなき究極の婆さんであるが、その実際の様態は「プレ婆さん」そのものやった。まず声が若い。電話口では四〇代か五〇代に聞こえる。ほんまやで。プレ婆さんは、蔵書の一部をうちに託したい、と云った。宮沢賢治とかチエホフとか、全集がいろいろとあるんだけど、もうこの年で読まないし、ぜんぜん手に取ってないから状態は良いわよ、とまくし立てる。もちろん歓迎、着払いでOKや。

「これから行くわね」。

どういう意味なのか、まるでわからなかった。プレ婆さんはつづける、「このコロナでどこへも行かれなくてつまんないのよ。住所おしえてくださる? そうね、一時間くらいで行くわ」。

一時間後、婆さんはひとりでやってきた。タクシーや。後部座席のドアーから颯爽とあらわれると、ここに置いていいかしら、と荷物入れから紙袋を三つ、テキパキと運転手に運ばせる。彼女は、ふさふさの白髪をゆたかにたくわえ、モノクロームの幾何学模様のシャツを痩身に召していた。背筋はしゃんと伸びており、物腰はとにかくハキハキとしている。用件が済むと、じゃあね、と待たせたタクシーで帰っていった。その間、およそ五分。むちゃくちゃかっこいい。ボーナス・ステージそのものやないか。コイン取り放題や。


後日、小包がひとつ、届いた。あの婆さんからや。一冊抜けていた賢治の全集が見つかったという。ヨゼフ・アルバースの抽象絵画をあしらった絵葉書には、筆でこう綴ってあった。
「啓、本棚の隅にポツンととり残されておりました。お仲間にお入れ下さいませ。お静かなご繁栄をお祈りしつゝ」

この世には、こんなかっこええ婆さんがおるのか。 おかんよ、未来は暗くない。いまのうちにコインを取りまくれ。

表紙