オコエ便り
真魚八重子

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第1回


家に来て2日目のオコエ

 ついさっきまでわたしに撫ぜてもらおうとして、ホットカーペットの上をコロンコロンと転がっていた猫のオコエが、今はこちらに背中を向け、ピクリともせず俯いて丸まっている。動から一気の静。でもちょっとパソコンを見たのち振り返ったら、同じ態勢なのにオコエのお尻がわたしにくっつきそうなほど近づいている。気配も立てず、いつの間に動いたんだろう。
 猫を飼おうと思ったのは、引っ越しをすることになった2年半前だった。元々猫が飼いたいと言っていた夫が、この機会にペット可の物件にしようと言い、現在の賃貸アパートを選ぶことになった。でも引っ越して間もなく夫が大病を患ったりして、なかなかペットを飼う余裕もないままだったが、2018年の秋になって、改めて夫が「猫を飼おうよ」と言った。わたしはまずまっさきに、病み上がりで仕事も忙しい夫に、なんだかんだで猫の世話を押し付けられたらやっていられないという薄情な考えが頭をよぎったが、でもわたし自身も猫を飼ってみたい。実家では20年以上犬を飼っていたので、動物のいない生活は寂しさがあった。なので夫に「あなたが欲しがったんだから、世話はちゃんと自分で責任を持つんだよ」と、小ずるい設定で主導権を持たせ、いよいよ猫を飼うことにした。
 本やネットで初めての猫の飼い方を勉強しつつ、近隣の保護猫の譲渡会を探した。すると隣駅の公民館で、近々行われるとわかった。一度で相性の合いそうな猫と出会えるものなのかわからないまま、まったくの初体験にワクワクしつつ会場へ向かった。
 殺風景な建物の、さすがに獣っぽい匂いが立ち込める部屋には、口の字に並べられたテーブルの上に沢山のケージが置かれている。そこにはひしめくように様々な毛色や年齢の猫がいた。それらを興奮のあまり妙な速足で流し見て、とりあえず会場を一周する間に、ちょっと気になる子がいた。改めて近づいて見ると、真っ黒な猫で目は綺麗な翡翠色をしており、じっと斜め下の一点を見据えて固まっている。とてもおとなしいメス猫で、覗き込んでも顔をあげてこちらを見返したりもしない。その引きこもったような佇まいに心惹かれた。元々黒猫が欲しいと言っていた夫も一目惚れしたようで、そのケージの前から離れない。波長が合ったというか、自然ととんとん拍子にその子を貰う手続きが進んだ。思いがけずあっという間に縁組は成立した。
 その黒猫はおおよそ1歳で、特定の家で餌付けをされていた地域猫だったらしい。里親さんから引き取るまでに間があったので、名前を決めた。夫婦ともにマーベル映画の『ブラックパンサー』にはまっていたので、ほとんど合言葉のように、登場キャラから取った「オコエ」に決まった。ちなみに映画内のオコエは、ブラックパンサーの強靭な女性ボディガードだ。
 1週間ほどして、里親さんが我が家に大型で2階建てのケージを運び込み、猫を連れてきてくれた。オコエはケージに入れられるなり、上段に置かれたショートケーキ型のキャットハウスの奥に潜り込んで、うんともすんとも言わず心を閉ざしていた。怯えて身をすくめた黒い毛の中から、緑色の目が時々覗く。でもなんとかそっと触って、撫ぜられることに慣れてもらうしかない。シャーッ!とされるのが怖かったが、オコエは威嚇もせずにひたすら、やたらと静電気が起こりやすいショートケーキに身をひそめていた。
 今、オコエはホットカーペットの上でぐんにゃり寝そべっている。こういうぼんやりしている時や、ウトウトしている状態で不意におなかの辺りを軽く突くと、「ニャー」よりも微かな「ニュ」とか「ウウ」という声が思わず出るところがかわいい。そしてそのまま、またくつろいで眠りにつく。

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