オコエ便り
真魚八重子

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第2回



 猫のオコエが我が家にやってきた日。
 猫用のケージは上段にキャットハウスを、下段にトイレや飲み水、爪とぎを設置した。猫は環境の変化を嫌うので、とりあえずケージの中は里親さんの所にいた通りにした。臆病なオコエは最初、自分の縄張りであるキャットハウスに引きこもったままだった。覗き込むとアイコンタクトはしてくれるものの、可哀想にゴミが入ってしまったのか、片方の目がシバシバしていて少し涙を流していたのを思い出す。里親さんいわく、一週間くらいはケージの中で面倒をみるようにとのことだった。上段は横幅が半分までで、下段とはジャンプで往き来できるようになっており、それが上下運動にもなると言う。
 しかし初日の深夜に、居間からガシャン!という大きな物音がした。目覚めた夫が様子を見ると、オコエはキャットハウスごと下段に転がり落ちていて、パニックで鳴き声をあげていた。夫が慌てて元に戻そうとすると、怯えたオコエは威嚇をしたが、なんとかハウスを設置し直して、オコエもそのうち落ち着いたらしい。
 翌日、わたしは興奮が続いていて仕事も手につかず、オコエを覗き込んでばかりいた。時々ハウスから出て下段に降りたそうなそぶりをみせるが、決心がつかないようにまた奥へ引っ込んでしまう。夕方くらいになり、オコエが昨日から一度も水を飲んだり、おしっこをしたりしていないのが心配になってきた。ストレスのせい? 何か手段を講じなければまずい? そうやって思い悩んでいるうちに、あっと思い当たった。
 もしやオコエは、下に降りるのが怖くなっているんじゃないか?
 夜中に水でも飲もうとした際、ケージ内ではうまく降りられずに、ハウスごと転落してしまった恐怖で怖気づいているのかもしれない。わたしは上段の柵を開けて、直接居間に降りられるようにしてみた。すると出口に気づいたオコエは勇気を振り絞るように屈伸してから、ポンとわたしの足元に飛び出してきた。そして居間経由で下段に入り、急いで水を飲んでおしっこをした。随分我慢していたようだ。予想が当たって安心するとともに、この子は猫にしてはちょっとどんくさいんだなーと思った。用事を済ませたオコエは人心地着くと、キャットハウスに戻った。このとき、ハウスに落ち着いたオコエが心底ホッとした表情でわたしを見つめていて、心が通じたように感じた。手を差し入れると、おとなしく撫ぜられるがままにしていた。
 それからオコエは居間で過ごしたり、寝室やわたしの仕事部屋を冒険したりする時間が増えていった。数日でケージは必要なくなってきたので片付け、オコエは座椅子か、ペット用のホットカーペットが定位置になった。
 猫も千差万別なんだなと気づくことが多い。ネットでよく見かけるような、猫が箱に入る姿を楽しみにしていたけれど、オコエは段ボール箱にまったく興味を示さないし、運動神経が鈍いせいか高い所に登ったりもしない。そういう意味でイタズラはしないし、ヒヤヒヤする思いも少なくて済んでいる。レバー型のドアノブは飛びついて開けてしまう猫も多いというのに、オコエはそんないたずらをする知恵は今後も身につかなさそうだ。それとオコエは持ち上げられるのがすごく嫌いで、当然抱っこもさせてくれない。
 けれどもオコエなりの愛情表現をしてくれるので十分可愛い。去年の夏頃はオコエの中で頭突きがブームだった。甘えたい時はしきりにわたしの足や腕に頭突きをして、鳴きながら全身をこすりつけるようにして何往復もする。黒い毛の奥に小さい頭蓋骨があるのをなんとなく意識しながら、オコエの気が済むまで撫ぜ回して相手をするのだった。

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